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深谷義治(帰還兵)のwiki!中国でスパイ活動!20年も獄中に?

      2015/08/26

戦中・戦後にかけて中国でスパイ活動の
任務を行っていた深谷義治さん。

中国当局に捕まった後は、20年に渡って
過酷な取調べを受け続けたのだそうです。

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特命でスパイに

深谷さんは島根県大田市の出身。

22歳で召集を受け、浜田歩兵第21連隊に
入隊し、中国へ渡ります。

そして、陸軍の憲兵志願試験に
合格し、憲兵となります。

憲兵は陸軍直轄の
いわゆる「軍事警察」です。

1940年、深谷さんは現地の人間に
なりすますよう極秘任務を受けます。

軍服を脱ぎ、商人になりすまし、
さらに中国人の陳綺霞さんと結婚。

主な任務は情報収集と偽造通貨を
使用して貨幣相場を混乱させること
だったのだそうです。

こういうスパイが日本人にも
実在したんですね。

ちなみにスパイ活動の一環で結婚しましたが
奥さんとの夫婦仲は円満だったようで、
3男1女に恵まれたのだそうです。

スパイ活動を続ける中、次第に戦局は悪化し
ついに終戦へ。

終戦後、深谷さんの上官は捕虜になっていた
そうですが、なんとその収容所に
深谷さんは潜入。

さすがスパイですね。

再会した上官から命じられたのは
「任務の続行」でした。

中華人民共和国が建国される中、
深谷さんは、なんと13年間も
「尤志遠」という中国人として
潜伏し続けていたのだそうです。

日本が敗戦したことも知っていたはずですが
ここまで任務に忠実だったのは、根っからの
軍人だったからなのかもしれませんね。


次男・敏雄さん著
日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族

逮捕・投獄

中国国内で任務を続けていた深谷さんですが
1958年ついに当局に逮捕されてしまいます。

投獄された深谷さんを待っていたのは
過酷なまでの厳しい取調べでした。

取調べに対し、深谷さんは戦時中の
スパイ活動は認めたものの、戦後の
活動については一貫して否認。

それが拷問という取調べへと
エスカレートさせたようです。

国も国ですから“人権”なんて
考え方も皆無だったでしょうね。

その拘禁生活は20年4ヶ月も続いた
そうですので、まさに超絶的な過酷さ
だったことは想像に難くないですね。

実際にこのときの取調べで受けた暴行により
のちに脊椎が変形して身長が縮んだり、
言葉が発せられないなどの後遺症に
苦しめられたのだそうです。

このようなつらい目に遭ったのは
家族も同様で、長男は無実の罪で
9年間も投獄。

一家は貧しい生活を強いられた上に、
子供たちは日本人の子供ということで
いじめられたのだそうです。

家族までもあまりにもつらい目に遭われて
いたたまれませんね。

帰国へ

1978年、日中平和友好条約締結に伴う
特赦によって深谷さんはようやく
釈放されました。

すでに居場所のない中国をあとに、
一家は深谷さんの故郷である島根県の
大田市に移り住みます。

帰国してみると軍人に支給される軍人恩給を
何者かが虚偽申請して横領していた
事実が発覚。

支給額が大幅に減額され、またもや一家は
困窮する憂き目に遭ったのだそうです。

どこまで過酷な運命なのかと
ふつうなら絶望してしまいそうですね。

再三、国に支給の見直しを
要求したそうですが、認められず。

これは国のために散々尽くしてきた
功労者に対してあまりにも冷たい対応
じゃないでしょうか。

帰国して30年以上経つ現在に至るまで、
要求は認められていないのだとか。

そして今年4月21日、寝たきり状態だった
深谷さんは広島市内の病院で死去。

享年99歳でした。

拷問の後遺症で体はだいぶ
不自由だったのだそうです。

その拷問の際には「罪を認めれば
優遇してやる」といった甘言も囁かれた
そうですが、深谷さんは一切応じなかった
のだとか。

最後まで日本を裏切らなかった
その気骨はたいへん立派ですね。

日本で最後の帰還兵だった
深谷義治さん。

その不屈の大和魂に敬意を払うとともに、
ご存命のご家族が日本で幸せに過ごされる
ことを祈って止みません。

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