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加藤明【ペルー女子バレーの父】の経歴!嫁や墓所についても!

      2015/08/26

ペルーの女子バレーボール代表チームの監督
を務めた加藤明(かとう あきら)さん。

1968年メキシコ五輪では4位入賞を果たす
など一躍ペルー女子チームを強豪に
育て上げました。

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バレーボールの指導者に

加藤さんは神奈川県の出身。

もともと骨折した際のリハビリの一環
としてバレーを始めて以後、ハマって
しまったのだとか。

まさに偶然、バレーボールと出会った
という感じですね。

そうして学生時代はバレーボールに
打ち込むようになり、慶応大学法学部に
在学中も選手として活躍。

卒業後は八幡製鉄に入社し、
社会人選手としても活躍。

全日本の選手として世界選手権にも
出場しました。

そして、1960年に現役を引退。

翌年、母校である慶応大学の監督を務め、
1964年には全日本大学選手権に優勝する
など指導者として手腕を発揮しました。

ちなみに慶応大は就任当初、二部リーグに
低迷していた状態だったのだとか。

選手としても、指導者としても
一流の才能を持っていたことが
窺えますね。

ペルー女子の監督へ

1965年、加藤さんは大学の先輩でもあり
慶応大学の監督に誘ってくれた松平康隆氏
よりペルー女子チームの監督を打診され、
これを引き受けることとなります。

松平氏は全日本男子を率いて
オリンピック2大会でメダルを獲得し、
日本バレーボール協会でもVリーグ発足に
尽力した人物です。

さすがに他国での指導に加藤さんも
躊躇したようですが、ペルー政府の
熱意にほだされたのだとか。

会社を2年休職扱いという形で
ペルーに渡った加藤さん。

当時のペルーの女子バレーは世界的には
レベルが低く、オリンピックへも
出場できない程度のレベルでした。

加藤さんは早速強化に着手。

ペルー国内を回って優秀な選手の発掘を
行ったほか、選手たちにスパルタ指導を
開始します。

特にこの「スパルタ指導」が相当なもの
だったようで、耐えかねた選手の中には
逃げ出す者まで出たのだとか。

さらには新聞まで「野蛮な監督だ」
とまで書き立てる始末。

「どんだけ厳しかったんだ?」
という感じですね。

そこで加藤さんはもっとペルーの文化や言葉
生活習慣などへの理解を深めようと努めた
のだそうです。

そして、選手たちとコミュニケーションを
図り、一緒に食事をするなどして信頼を
深めていきました。

時にはギターが得意だった加藤さんが
日本の歌を弾き語りして聞かせたりも
したのだとか。

こういう監督と選手の交流は
絆を強める意味でも大切なこと
でしょうね。

やがて加藤さんと選手たちは家族のような
関係となり、スパルタ指導にもついてくる
ようになっていったのだそうです。

しかし、日本では会社を2年の休職扱い
ということでペルーに来ていた加藤さん。

「もう1年延長したい」ということで
会社に希望を出すも通らず、ついには
帰国しなければならないこととなります。

選手たちは加藤さんとの別れをたいへん
惜しみ、その様子が新聞でも報道され
ました。

すると、その新聞記事を見た会社側が
翻意し、加藤さんのもう1年延長を
許可したのだそうです。

そうして1967年の女子世界選手権では
最下位だったものの、翌1968年の
メキシコ五輪では堂々の4位入賞。

監督就任からわずか3年で
成し遂げた快挙でした。

この短期間で世界の上位に食い込ませるとは
やはり相当な指導力があったんですね。

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早すぎる死

こうして一躍「ペルーの英雄」となった
加藤さんは監督としてペルーに骨を埋める
決心をし、会社を退職。

これから華々しい指導者人生となるのか
と思いきや、突然の病に襲われます。

病名はウィルス性肝炎。

以後、10年以上もこの病と
闘うこととなったのだそうです。

“好事魔多し”ということ
なんでしょうか。

1979年に監督を退任。

その3年後の1982年にリマ市内の
病院で息を引き取りました。

享年49歳という若さでした。

年齢的にもまだまだこれからという
ところで、さぞ無念だったでしょうね。

加藤さんには典子さんとおっしゃる奥さんが
いらっしゃったそうです。

お子さんについての情報は
見当たりませんでした。

加藤さんの死に際してはペルー国内で
大きく報じられ、リマ市内では弔意を
表す車のクラクションが一晩中
鳴り止まなかったのだとか。

また葬儀には市民5万人が参列し、
大統領までも弔辞を寄せたのだそうです。

まさに英雄の死を国中で悼んだ
という感じですね。

加藤さんの遺骨は市内にある
エル・アンヘル墓地に埋葬されますが、
治安の関係もあってかなり傷んでいた
のだそうです。

その後、加藤さんの墓はリマ市郊外に
改葬され、ペルーの日本大使公邸を
新築する際に記念碑も建立されました。

公邸前には今もこの記念碑が
建っています。

加藤さんが亡くなった半年後、ペルーで
バレー女子世界選手権が開催され、
ペルーは日本を破り、準優勝という
快挙を達成しました。

天国の加藤さんに対してはこれ以上ない
手向けだったでしょうね。

日本人としてまさにペルーのバレー界に
伝説を残した加藤さん。

同じ日本人として誇りに思うのとともに
その大きな足跡に敬意を表したい
と思います。

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