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伊藤梅子のWiki!有名な良妻賢母!お墓はどこに?子供や子孫についても!

   

日本の初代総理大臣である
伊藤博文の妻・梅子。

非常に聡明な女性で、
博文を陰から支えた
良妻だったのだそうです。

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プロフィールについて

梅子は江戸時代末期に
今の山口県下関市で誕生しました。

父親は木田久兵衛という
町人だったのだそうです。

やがて梅子は地元の亀山八幡宮の茶屋で
働くようになり、そこで夫となる博文と
出会いました。

当時、博文は攘夷派の刺客に命を狙われ、
逃げ込んだ亀山八幡宮で匿ってくれたのが
梅子だったのだそうです。

そこで博文は梅子に惚れて
しまったのだとか。

これはいわゆる「吊り橋効果」かと思いきや
梅子がかなりの美人であったことが
博文を夢中にさせたようです。

たまたま逃げ込んだ先で美人に助けられる
なんて、まるでどこかの国のスパイ映画
ばりのエピソードですね。

以後、梅子と博文は逢瀬を重ねますが、
すでに博文は結婚しており、つまり二人は
不倫関係にあったのだとか。

道ならぬ恋だったわけですね。

そのまま関係が続いていくかと思いきや
博文が遠出していた間に、なんと梅子は
父親の借金の形に身売りされる憂き目に
遭ってしまいます。

結婚している男性と不倫状態となり、
その後は身売りされるなんて、あまり
幸せな境遇ではなかったんですね。

博文はそんな梅子を身請けするため
妻と別れ、晴れて結婚するに至ります。

すでに梅子のお腹には博文の子供を
宿していたそうですので、いわゆる
デキ婚だったようですね。

良妻っぷりがすごい

バツ1の博文の妻となった梅子。

しかし、博文は歴史に名を残す
ほどの好色男でした。

伝説では高熱で病床に伏しながらも
二人の女性の相手をしたというくらい
絶倫だったのだとか。

病気のときくらい大人しくしていれば
いいのにと思いますけどね。

愛人や浮気など日常茶飯事。

他人の女房にまで平気で手を
出していたのだとか。

これはもう石田純一なんて
ものじゃないでしょうね。

そんな夫に対して梅子は一切
口出し、小言を言うようなことは
なかったのだとか。

それどころか、家に呼んだ芸者が帰る際には
きちんと土産を持たせるなどの気配りぶり。

まるでお釈迦様のような寛大で、
人間ができた奥さんだったんですね。

これはおそらく、博文の不貞に耐えていた
というよりも、その人間性を理解して
許していたということなのかも
しれませんね。

教養もハンパない

いわば日本初の“ファーストレディ”
だった梅子。

それにふさわしい教養を身につけることにも
余念がなかったそうであの津田塾大学の
創設者・津田梅子に英語を学んだほか、
日本伝統の和歌を学ぶなど、とても
身売りされた元芸者とは思えない勤勉ぶり
ですね。

ご存知のとおり、博文は朝鮮で暗殺されて
しまいますが、その際にも動揺していた
家中を毅然としてまとめたと言われて
います。

もうふつうに“才女”と言っていい
レベルの女性ですね。

墓所や子孫は?

1924年(大正13年)に77歳で
亡くなった梅子。

その死後は東京・品川区西大井にある
博文の墓所の右隣に並んで埋葬されました。

今でも立派な円墳墓が残っています。

博文はその好色ぶりで多くの子を
残しましたが、梅子との間には
2女をもうけました。

長女は夭折しましたが、次女は
内務大臣を務めた末松謙澄と結婚。

子供は授からなかったようですので、
梅子の血筋はここで絶えているようです。

ちなみに博文と女中・西朝子との間にできた
娘・清子のさらに娘が民主党の
松本剛明議員の母親です。

松本議員は博文の子孫ということに
なりますね。

まぁ派手な女性関係を見ると、その出自を
明かされなかっただけで、実際はほかにも
隠れた子孫がたくさんいそうな
気もしますが。

そういった度を越した女遊びを看過し、
さらに夫を支えたまさに内助の功の
鑑のような梅子。

時にはその醜聞でマスコミの餌食にもなった
そうですが、そんなときでも梅子は必死で
世間から夫をかばい続けていたそうです。

ふつうならとっくに愛想を尽かして
しまいそうですけどね。

こんなスキャンダルまみれの博文が
首相を続けられたのも梅子のおかげ
かもしれませんね。

歴史に隠れた女傑・伊藤梅子に
心から敬意を表したいと思います。

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