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ジョン・リアダン(銀行家)のwiki!ベトナム人を救った英雄!

      2015/09/03

ベトナム戦争の際、105人ものベトナム人を
救い出した銀行家のジョン・リアダンさん。

その英雄譚が世間の知られるようになった
のは2013年に放送されたテレビ番組が
きっかけだったのだそうです。

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救出を画策

当時、ベトナムの首都・サイゴンで
シティバンクのアシスタントマネージャーを
していたリアダンさん。

現地社員のベトナム人たちとも家族ぐるみの
付き合いをするほど、親密だったのだ
そうです。

しかし1975年3月、米国軍の撤退に乗じて
北ベトナム軍が南ベトナムに侵攻を始め、
4月にはサイゴンまで迫ってきていました。

本国からの避難命令を受けたリアダンさんは
後ろ髪を引かれる思いで香港に脱出。

旅立つ前にリアダンさんはベトナム人の
同僚たちに「必ず戻ってくる」と告げて
いたのだとか。

戦場になるかもしれないところにわざわざ
戻ることを宣言するって、どれだけ現地で
親しかったのかが伝わってきますね。

そうして香港に渡ったリアダンさんは
同僚のベトナム人社員とその家族を
救い出す方法を模索し始めます。

銀行側と米国政府にも救出を打診。

ヘリコプターでの輸送など様々な方法を
提案しますが、ことごとく却下。

国益や自国民のためならいざ知らず、
さすがにベトナム人の救出となると
米国政府も動きませんね。

しかし、なおも救出にこだわるリアダンさん
に対して銀行側はいい加減に諦めないと
「解雇する」とまで言い放ちます。

ここまで言われると普通は尻込みしそう
ですが、リアダンさんは単独で救出する
ことを決断し、ベトナムに帰還。

すさまじいまでの男気に
あふれた行動ですね。

ベトナム脱出

もはや陥落間近のサイゴンで
同僚たちと再会したリアダンさん。

まったくの独断だったため、
救出する方法はこれから考えねば
なりませんでした。

まさに向こう見ずの行動
だったんですね。

そこでCIAのエージェントと接触し、
「米国人とその家族なら軍の貨物機で
脱出できる」ということを教えられます。

リアダンさんはその手続きのため飛行場に
足を運び、書類にベトナム人の同僚や
その家族15人の名前を自身の扶養家族として
記入し提出。

「これおかしいだろ」と指摘されたらアウト
ですから、ドキドキだったと思いますが、
担当者は問いただすこともなく書類を受理。

なんと4日間で10回も同じ方法で書類を通し
105人のベトナム国外への脱出が許可された
のでした。

さすがに窓口の担当者が「あれ?前にも
来なかった?」と尋ねてきたこともあった
そうですが、「初めてです」としらを切った
というリアダンさん。

窓口の担当者もどんだけお役所仕事で
適当だったんだよと思いますけど、
この場合はそれが功を奏しましたね。

こうして無事、同僚とその家族105人は
グアムやフィリピンへ脱出。

のちにカリフォルニアで
再会したそうです。

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粋な計らい

気になるのは銀行の警告を無視して渡航した
リアダンさんの処遇ですが、なんとその
勇気ある行動に銀行側はボーナスを支給。

英雄として称えたのだそうです。

さらにそれだけに留まらず、脱出してきた
ベトナム人社員たちに仕事を与え、
100万ドルの資金援助までしたのだとか。

リアダンさんも立派ですけど、シティバンク
という銀行も器がデカいですね。

日本あたりの了見の狭い企業なら即解雇して
責任逃れにみんな見放すところでしょう。

ちなみに北ベトナム軍に制圧された
南ベトナムはその後、北ベトナム側による
厳しい弾圧や飢餓に苦しみ、脱出を図った
難民の多くは難破して命を落としました。

おそらくリアダンさんのおかげで失われずに
済んだ命が数多くあったでしょうね。

このエピソードが公になったのは
2013年の「60 Minutes」という
ドキュメンタリー番組がきっかけ
でした。

本当についこの間だったんですね。

うっかりしたら歴史に埋もれて
しまっていたでしょう。

ユダヤ人を救ったオスカー・シンドラーに
なぞらえて「ベトナム戦争のシンドラー」
とも称されるリアダンさん。

その勇気ある行動に敬意を表するとともに
救われたベトナム人とその家族が末永く
幸せに暮らすことを祈りたいですね。

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