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石原和幸(庭園デザイナー)の生い立ち!庭園の金メダル獲得!波乱万丈の人生とは?

   

庭園デザイナーとして活躍する
石原和幸さん。

かつて英国の権威あるコンテスト
チェルシー・フラワーショーで
金メダルも獲得しました。

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モトクロスの選手に

石原さんは長崎県長崎市の出身。

実家は酪農農家だった
のだそうです。

父親の乗っていたバイクに興味を持ち
高校生からバイクレースに出場。

園芸とはまったく
無縁の世界ですね。

そして、それを見たプロの
モトクロスチームからスカウトされ
弟子入り。

久留米工業大学の交通機械工学科に
進学し、新聞配達しながら
モトクロスの練習に励むように
なります。

新聞配達も過酷な仕事ですから
モトクロスとの両立も相当
大変だったでしょうね。

ところが、20歳の頃に視力が低下。

これはアスリートとしては
致命的ですよね。

そうしてモトクロスレーサーの夢を諦め、
大学卒業後は自動車販売会社の整備士
として就職。

ちょうどそんなとき実家が
酪農から生花栽培に転換。

石原さんは実家を手伝うことを考え、
試しに生け花教室に足を運びます。

そこで初めて生け花を見た
石原さんは感動し、会社も退職。

この道で生きていく覚悟を
決めたのだそうです。

それまでとまったく違う道に迷わず
踏み出すとはチャレンジャーですね。

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独立と挫折

23歳で路上販売の生花店に
飛び込みで弟子入り。

ものすごい意欲ですね。

1年修行したのち、実家の牛小屋を
改造した花屋を開業するに至ります。

きっとやる気に燃えて
いたんでしょうね。

ところが歴史に残る大災害
長崎大水害が発生し、畑も店舗も全滅。

これはもう「不幸」としか
言いようがないですね。

その後はまた他の花屋で働く日々。

しかし、また独立したいという夢は
持ち続けていたのだそうです。

そうして29歳で結婚するとともに
再び独立を果たし、花の路上販売を
始めます。

1メートル四方の狭いスペースで
販売する方式を考え出し、やがて
全国展開するまでに事業を拡大。

まさに大成功を収めたと言って
いいでしょうね。

ところが、折りしもバブルが崩壊。

なんと8億円もの借金を背負う
こととなります。

2度も大きな挫折を味わうとは
ふつうなら気持ちが折れて
しまいそうですけどね。

石原さんは原点に立ち戻り、
長崎で花の販売を始めます。

園芸への挑戦

長崎で花の販売をする一方で植木や園芸に
関する仕事も舞い込むようになった
という石原さん。

そちらのほうは未経験ながらも
今後の可能性を感じるように
なったのだそうです。

そうして本格的に園芸の仕事に
乗り出すにあたって、宣伝のために
かつてのテレビ東京の人気番組
「TVチャンピオン」に出演。

あの番組もこういう人が
エントリーしていたんですね。

次に目指したのが英国の権威あるコンテスト
「チェルシー・フラワーショー」でした。

ただ、同コンテストにはかなりの資金が
必要だったそうで、なんと実家を売却して
お金を工面したのだとか。

このコンテストにすべてを
懸けていたんですね。

それでも足りない材料は他のチームから
分けてもらったりもしたのだそうです。

もうなんとか出場できた
という感じですね。

しかし、なんと結果はいきなりの2位。

そして2年後に再び臨んだ同コンテストで
1位の金メダルを獲得。

これはまぐれではなく完全に
実力で勝ち取った結果ですね。

それまで大きな挫折を経験し、
家まで売却して臨んだ大会で
結果が残せて本当によかったですね。

東京へ進出

その後は東京へ進出し、
石原和幸デザイン研究所を設立。

現在、商業施設や病院、学校などの
ガーデニングを手掛けています。

「いい庭を作って喜んでもらえるのが
一番嬉しい」と語る石原さん。

ぜひこれからもすばらしい庭園で
世界中の人々を楽しませてもらいたい
ですね。

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