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田沼意次が大奥も認めたイケメンだった!天才的な政治家!子孫はいる?

   

江戸時代に「田沼時代」と称され
実権を握った田沼意次。

じつはすごいイケメンだったと
伝わっています。

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大奥も認めた!

意次は旗本の家柄。

意次の父・意行はもとは紀州で足軽を
していましたが、徳川吉宗に重用され、
吉宗が将軍になると旗本にまで出世した
人物なのだそうです。

意次は成り上がりの
二代目だったんですね。

意次の容姿は町に追っかけが
いるほど端整だったのだとか。

現代と美意識が違うでしょうけど、
今で言うジャニーズ系みたいな
感じでしょうか。

そのイケメンぶりを窺わせるのが
あの「大奥」での出来事。

大奥では節分に年男を呼んで
布団に簀巻きにして胴上げする
というイベントがあったのだ
そうです。

まぁある種のイジメであり、
女だらけの大奥でのストレス発散
が目的だったようですね。

今より断然、男社会だったことを
考えれば、こんな目に遭った男性
はプライドがズタズタだった
でしょうね。

そこに呼ばれた意次。

しかし、そのイケメンぶりに
大奥の女性たちは簀巻きにする
ことはしなかったのだとか。

いつの世もイケメンは
得するようにできているんですね。

小姓の身分から老中にまで成り上がった
意次を裏で支援していたのは大奥だった
とする説もあります。

まぁこのエピソードを聞く限り
それも真実かもしれないと
思ってしまいますね。

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天才的な政治家

意次というと「賄賂」などの
ダーティーなイメージがありますが、
これは対抗勢力だった松平定信らが
流布したものだと言われています。

イメージダウンのために
悪評流されたんですね。

実際に意次が行った政策が
いわゆる「重商主義政策」。

当時は荒地だった印旛沼・手賀沼の
開墾事業を行いました。

今で言う公共事業を大々的に
行ったんですね。

また「株仲間」という同業者団体を
設立させて商人同士の規律を持たせ
ました。

ほかにも蝦夷地の開発まで
視野に入れていたのだとか。

これはロシアの南下を牽制する
目的があったと思われます。

一方でロシアとの貿易も画策していた
そうですので、国防と外交の両面を
考えていたようですね。

江戸幕府の中でここまで先進的な
考えを持って行動した政治家は
おそらくいなかったのでは
ないでしょうか。

ただ、明和の大火や浅間山の大噴火、
また噴火の影響も受けた天明の大飢饉
といった災害・天災も相次ぎ、
政策は失敗。

幕府の財政立て直しは一時的に
実現したんですけどね。

最終的に左遷された意次。

居城だった相良城は打ち壊され
死後には財産もことごとく没収
されるという憂き目に遭います。

江戸幕府で失脚した権力者は
何人かいますが、ここまでの
仕打ちを受けたのは意次だけ
でしょうね。

子孫はいる?

意次の長男・意知は江戸城内において
佐野政言という旗本に暗殺されて
しまいます。

「松平定信の差し金では?」とも
言われていますが、これには諸説
あるそうです。

その後、田沼家は意次の孫
意明が家督を継ぎました。

意次は失脚してしまいましたが、
その後の子孫たちは幕府で
若年寄といった要職を歴代
務めています。

没落したりはしなかったんですね。

田沼家は現代まで続いており
17代目の道雄さんという方が
ご存命なのだそうです。

現代でも通用するような
先見性のある政策を行った
田沼意次。

「賄賂政治家」という見方を改めて
もっと評価されてもいい賢人
なのかもしれませんね。

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