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諏訪貴子(ダイヤ精機)のプロフィール!夫や子供は?会社再建の手腕がすごい!

   

自動車部品用ゲージなどを
製造しているダイヤ精機。

東京・大田区に工場を構え、
日産自動車などを主な取引先とする
いわゆる“町工場”です。

この会社を率いるのが
二代目社長の諏訪貴子さんです。

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社長に就任

諏訪さんは東京の出身。

現在、別の会社で働く夫と
お子さんもいらっしゃいます。

1971年、ダイヤ精機を起業した
父・保雄さんの長女として誕生。

生まれる前にお兄さんがいた
そうですが、白血病のため早世。

諏訪さんには跡継ぎの期待が
かかっていたのだそうです。

そうして成蹊大学工学部に進学。

就職にあたってはお父さんの
すすめるユニシアジェックス
に入社します。

じつはお父さんからは「秘書」の
仕事だと聞かされていたそうですが、
採用職種は「エンジニア」だった
のだとか。

跡を継がせたいという親心でしょうけど、
お父さんも策士ですね。

結婚・出産を機に
同社を退社。

その後、お父さんから請われて
ダイヤ精機に入社し、総務を担当。

業績が芳しくなかった同社にあって
諏訪さんは総務の立場から
リストラ策を進言。

するとお父さんは「お前が辞めろ」
と逆に諏訪さんをリストラして
しまったのだそうです。

赤字の会社であればリストラも
やむをえないところでしょうけど、
経営者のお父さんとしては
受け入れがたいものがあったん
でしょうね。

一旦は会社を去った諏訪さん
ですが、後に復帰。

しかし、また同じような衝突があって
辞める・また入社するという繰り返しに
なったのだそうです。

そうした中でお父さんに
肺ガンが見つかります。

ガンであることが分かった時点で
再び会社に戻った諏訪さん。

旦那さんの海外赴任も決まっていた
そうですが、日本に残ったのだ
そうです。

いろいろな意味での覚悟を
決めたんでしょうね。

そうしてお父さんが亡くなり、
周囲に押されるようにして
諏訪さんが社長に就任しました。

当時32歳だったそうですので、
男性にしても女性にしてもかなり
若くして経営者になったんですね。

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経営を再建

かつて3億4000万円の年商があった
ダイヤ精機もリーマンショック後は
1億7000万円にまで半減してしまった
のだとか。

これは会社存亡の危機ですね。

そこで諏訪さんはそれまで2割程度だった
ゲージの生産を主力に定め、設備投資。

売上げの6割にまで拡大する
手に打って出ます。

また新規採用によって、それまで
培った技術を受け継ぐ体制も強化。

不況となると守りに回りがちですが、
あえて攻めの戦略をとったんですね。

そうした戦略が功を奏して
業績は徐々に回復。

2012年には2億9000万円にまで
回復したのだそうです。

なかなかの経営手腕ですね。

ただ、それまでに社員を2名
リストラしたり、社内改革にも着手。

さすがに町工場の職人相手ですから
難しかったと思いますが、
コミュニケーションを図ることで
お互いに理解を深めていったのだとか。

一口に業績回復といってもその陰には
相応の苦労があったんでしょうね。

そのほか、それまでは社員たちの
頭の中や紙ベースだった設計図などの
情報をデータベース化。

バーコードで管理するシステムを
確立して効率化にも成功しています。

町工場ながらITも導入して
いるんですね。

このノウハウは一般に公開され、
ほかの町工場でも導入されて
いるのだとか。

独自のノウハウを公開するなんて
なかなかに太っ腹ですよね。

現在も高い技術力を誇る
ダイヤ精機。

これからも諏訪さんを中心として
伸びていきそうですね。

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