KNOWLEDGE-知識の泉-

知りたいことはここでリサーチ!

*

中根喜三郎のプロフィール!竿忠を名乗るまでの波乱万丈の人生

   

江戸和竿の職人・竿忠(さおちゅう)
として活躍する中根喜三郎さん。

曾祖父から続く和竿職人の家柄ですが
四代目の竿忠を名乗るまでには
波乱万丈の人生がありました。

スポンサードリンク

空襲で家族を失う

中根さんは東京都の出身。

妹さんはあの初代・林家三平の
妻である海老名香葉子さん。

9代目・林家正蔵さんは
甥にあたるんですね。

中根さんには二人の兄と弟がおり、
代々長男が家を継いできたため
中根さんが家を継ぐ予定では
ありませんでした。

しかし、東京大空襲によって
両親と二人の兄、さらに弟まで
失ってしまったことから
運命が変わっていきます。

ちなみに中根さんと妹の香葉子さんは
疎開していたため難を逃れました。

いきなり家族のほとんどを失うとは
まさに筆舌に尽くしがたい過酷な
運命ですね。

和竿職人の道へ

家族を失った中根さんと妹の
香葉子さんは父の顧客でもあった
落語家の三代目・三遊亭金馬に
引き取られます。

三代目金馬は釣りに関する著書が
あるくらいの釣り好きだったのだとか。

加えて世話好きであり人情家
としても有名だったそうで、
中根さんたち兄妹を引き取ったのも
当然の流れだったのでしょうね。

中根さん自身は和竿職人になることを
考えていなかったそうですが、
三代目金馬の強い勧めによって
その道に進むことを決めた
のだそうです。

三代目金馬も何か思うところが
あったのかもしれませんね。

そうして19歳と遅まきながら
同流の竿師・竿辰に
弟子入りします。

こういう職人の道にしては
かなり遅いスタートと
言えるでしょうね。

竿師の家に生まれたとはいえ
父からまったく薫陶を受けて
いなかった中根さん。

材料の竹の上下すら分からなかった
といいますので、まったくの
ド素人だったんですね。

そこから必死で修行に
打ち込んだのだとか。

これは並みの努力では
なかったのでしょうね。

2015120701

そうして修行の末に
「竹の子」という名前で独立。

42歳になってようやく四代目の
竿忠を襲名しました。

やはり竿忠を名乗るまでには
それだけの時間を要したん
ですね。

実際に先代や先々代から
技術を受け継いでいないため
それぞれの作品を真似ながら
試行錯誤したのだとか。

竿忠を名乗るまでの
苦労がしのばれますね。

初代の曾祖父から「名人」と
謳われてきた竿忠の屋号ですから
プレッシャーもあったでしょうね。

ちなみに襲名披露には義弟で
先代の林家三平の一門が
尽力したのだそうです。

逆に中根さんも三平一門のために
後見人になるなど、やはり落語家の
一門との結びつきが強かったんですね。

その後、中根さんは江戸和竿協同組合
理事長などを歴任したほか、今年は
名誉都民としても顕彰されました。

伝統技能を持つ職人として
その功績が認められたんですね。

残念なことにその技能を受け継ぐ
後継者がいないのだとか。

ぜひ中根さんの技を受け継ぐ人が
現れてほしいものですが。

「自分が死んでも竿は残る」
と語り、いいものを作りたい
と意欲を語る中根さん。

四代目竿忠としてぜひ名品を
残してもらたいですね。

スポンサードリンク