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だんぴあ丸の感動の救出劇!魔の海域から尾道丸を救った英雄たち

   

1980年12月29日、千葉県房総半島の
野島崎沖で難破した尾道丸。

波の高さ20メートルにもおよぶ大時化に
加え瞬間風速25メートルの暴風雨。

そんな中、勇敢にも救助に向かったのが
大型貨物船「だんぴあ丸」でした。

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救出を決断

もともと野島崎沖はよく低気圧が発生し
“魔の海域”の異名を取っていました。

当然、海難事故も後を絶たず、
その年もすでに2隻が
遭難していたのだそうです。

日本版のバミューダトライアングル
みたいな海域ですね。

12月30日、乗組員29人・石炭5万トンを
積んだ貨物船「尾道丸」は荒波によって
船首を失い、沈没の危機に
立たされました。

一方、「だんぴあ丸」は乗組員25人、
南米のチリから鉄鉱石8万トンあまりを
積んで一路、茨城県の鹿島港をめざして
いました。

同じ海の上、「だんぴあ丸」もまた
荒れ狂う海と格闘。

そんな中で同船は
SOS信号をキャッチします。

船長の尾崎哲夫さんは位置を確かめ
無線で尾道丸に連絡。

救助に向かうことを決断します。

自分たちも遭難する危険もある中で、
この決断はかなり勇気がいった
でしょうね。

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船長の冷静な判断

遭難した尾道丸では当然のことながら
転覆する恐怖から軽いパニック状態に
なっていました。

「至急、救助してほしい」と
無線で訴えてきますが、
「だんぴあ丸」の尾崎船長は
冷静に対処。

「嵐が収まるのを待ちましょう」と
落ち着いて相手に呼びかけました。

じつは尾崎船長、大学の卒論で
石炭は浸水率が低いということを
研究していたそうで、尾道丸は
すぐには沈まないと直感していた
のだそうです。

相手の感情に流されて荒波に
突っ込んだら、それこそ
甚大な二次遭難が起こって
しまいますからね。

周到な救助

30日の18時36分、「だんぴあ丸」は
尾道丸から10キロの地点に
到着します。

ここまで来たら沈没の恐怖と闘う
乗員たちをすぐにでも救助してあげたい
と思うのはふつうですよね。

しかし、両船の乗員ともに犠牲者を
出したくない尾崎船長は
救助を焦りませんでした。

すぐにでも船外に逃げ出そうとする
尾道丸の乗員たちに「こちらには
燃料も食料もたっぷりある」
「こういう状況で救助の経験がある」
と無線で呼びかけました。

まず安心させないと追い詰められた人間は
無謀な行動に出かねませんからね。

そうして嵐が収まるまで
救助を控えることになりました。

年も明けた1981年1月1日、
ようやく嵐が収まったことで
救助活動を開始。

この救助に備えて、風呂や部屋割り、
下着類といった日用品の準備など
「だんぴあ丸」の乗員たちは
周到に準備をしていました。

もちろん救助にあたっての
人員配置も完璧になされて
いました。

のちに専門家も「神業」と
賞賛するほどの救助活動だった
のだそうです。

すばらしいチームプレー
だったんですね。

最後の乗組員を救出したとき、
尾道丸の北浜船長は目に涙を
浮かべて尾崎船長と抱き合った
のだそうです。

北浜船長も自分の船の乗組員を
全員助けられたことがなにより
うれしかったでしょうね。

救助後はそのまま船内で新年会と
なったのだそうです。

きっと宴会は盛り上がった
でしょうね。

のちに尾崎船長には海難救助活動
としては初の総理大臣表彰が
贈られました。

まぁそれに値するだけの
働きでしたからね。

見事な救出をやってのけた
尾崎船長の「だんぴあ丸」。

海難事故の歴史の中でこの救出劇は
これからも語り継がれていく
でしょうね。

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